【こまつの歌舞伎が熱い!】小松市で歌舞伎が盛んな理由
こんにちは。「小松の歌舞伎が熱い!」ということで、今日は〈小松〉と〈歌舞伎〉の関係についてお伝えします。小松市のキャラクターも「カブッキー」。小松でなぜこんなに歌舞伎が盛んなのか、その疑問に迫ります!
市川團十郎さんと小松との関わり
先日3月4日。十三代目市川團十郎さんの襲名披露公演が小松市から始まりました。公演の前には駅前を練り歩き、たくさんの人たちが市川海老蔵さん改め市川團十郎さんに声援を送りました。
公演会場はこの日、こまつ芸術劇場から「團十郎芸術劇場うらら」に名称変更。なぜ「團十郎」の名を冠した施設にしたのか、そして全国15会場で行われる巡業のスタートの地になぜ小松が選ばれたのか。気になりますよね。
施設の中には、その秘密を解き明かしてくれる展示室があります。中に入ると、十二代、十三代團十郎さんのパネルがあり記念撮影もできるようになっています。
勧進帳の舞台、小松
展示室のご紹介の前に。まず、小松市には歌舞伎の有名な演目「勧進帳」の舞台となった場所があります。それは「安宅の関」。市内を流れる梯川の河口にあり、奈良時代以降、陸と海の交通の要所として栄えた場所です。
「勧進帳」といえば、平家打倒で武功を立てた源義経を捉えようと設けられた関所を、弁慶の機転で乗り切るシーンが有名ですよね。
「勧進帳」は弁慶、義経、冨樫の3者による「智・仁・勇」の物語として、歌舞伎の演目を通して800年を超えて語り継がれています。安宅公園の海が見える松林の中には銅像が。また園内には「勧進帳ものがたり館」もあり、勧進帳をダイジェストで見ることができるシアターや、隈取や歌舞伎ポーズなどの体験コーナー、弁慶・富樫・義経の性格診断クイズなど、ファミリーで楽しめる施設となっています。
安宅住吉神社には、偽の巻物を「勧進帳」として読み上げる弁慶像。ここは、冨樫の詰問を切り抜け関所を突破できたことから「難関突破」の守護神として全国に名を馳せる神社なのです。受験はもちろん人生のあらゆる難関を突破するためのお守りも!
まちのあちこちに弁慶と冨樫が
歌舞伎十八番の一つである「勧進帳」の舞台があることから〈小松は歌舞伎のまち〉になったというわけなのです。市内至るところに、歌舞伎のまちをPRする看板や弁慶や冨樫の銅像を見ることができます。
子どもたちが演じる歌舞伎
なぜ小松で歌舞伎なのか。実はもう一つ理由があります。それは、江戸時代から続く「お旅まつり」。加賀前田家三代当主の前田利常公にゆかりがあるお祭りで、毎年5月に行われています。
17世紀中頃から始まったとされるお旅まつりですが、最初は曳山はありませんでした。100年ほど経った1776年、長浜の曳山祭りを見て感動したという商人が豪華絢爛な曳山を祭りに組み入れ〈曳山子供歌舞伎〉として曳山で上演し始めたのが興りだといいます。曳山の歴史は約250年で、現在は8基が残ります。特徴的なのは、演じているのが全て女の子ということ。小松では歌舞伎を「観る」だけではなく「演じる」ことでも受け継がれていて、みんなが子供歌舞伎を楽しみにしているのです。
小松駅前正面から延びる「れんが花道通り」には「こまつ曳山交流館みよっさ」があり、曳山2基が常設展示されています。舞台も備えていて、歌舞伎や能楽の教室が開かれているほか、メイクや衣装でバッチリ決めることができる「歌舞伎役者なりきり体験」(体験料 500円/要予約)もありますよ。
そして再び、成田屋と小松の絆
勧進帳、曳山子供歌舞伎のまち小松市が、成田屋とどう結びつくのか。義経と弁慶の物語が1187年で、その800年後の1987年に開催した「勧進帳小松800年祭」に十二代市川團十郎さんをお招きして「勧進帳」を演じていただいたことでした。
その後交流が始まり、市内中学校の持ち回りで上演される古典教室や子供歌舞伎の指導、さらには團十郎芸術劇場うららの設計監修にも携わっていただいたのです。1983年からは日本各地で受け継がれる子供歌舞伎を招いた「全国子供歌舞伎フェスティバル」(現在は「日本こども歌舞伎まつり」)が小松で開催されていますが、その特別顧問にも就任していただきました。
歌舞伎のまち小松は、今はなき十二代目市川團十郎さんの支えがあってこそ。それに敬意を表してこの展示室ができ、今回、うららの名称も「團十郎」の名がつくことになりました。そして十三代目市川團十郎さんにも、その絆が受け継がれています。
5月は〈日本こども歌舞伎まつり〉と〈お旅まつり〉へ!
間もなく5月。小松に子供歌舞伎の季節がやってきます。歌舞伎俳優、片岡千之助さんが特別ゲストの「日本こども歌舞伎まつりin小松」、そして「曳山子供歌舞伎」が上演される「お旅まつり」。子どもたちは日々練習に励んでいます。ぜひ子どもたちが熱く演じる子供歌舞伎を鑑賞しに、小松へお越しください!